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考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

心・意識は脳の機能でしょうか?





*脳と意識*その280*知性,論理,思考,意味,イメージ,本質,質,味わい,価値,心,意識,生物,社会,国家,自然,世界,宇宙,などの研究*
(手を入れる)



(私の研究姿勢

私の、研究における姿勢は、研究対象の、考えられる可能性・ケース・モデル・在り方をすべて(考えられるだけ)拾いあげ、ならべ挙げ、その中で、今のところ、この可能性が高いのではないか、これが現実に対応している可能性が大きいのではないか、と追求していくやり方をとることです。

そこにおいては、証明らしいものも展開します。

それから、検証も求めていきます。

それらを文書にするにあたって、つい断定調に思える表現になってしまうこともあるでしょうし、間違った書き方をすることもあるだろうし、わかりにくい表現になってしまうこともあるでしょうし、あるところではひとつの可能性だけを挙げているケースもあるでしょうが、あくまでも、どこまでも、可能性をすべて追求し、現実はいったいどれに対応しているのだろうか探し出そう、という立場で研究をやっています。


注)
私の楽天ブログのホームでの書き方も、まずすぎます。
多くを断定調で書いていますが、実際は考えられる可能性のひとつを挙げているだけです。その立場への思い入れが強すぎますね。
実態は、質の科学の内容の一部を挙げているだけです)






*脳と意識*その278*知性,論理,思考,意味,イメージ,本質,質,味わい,価値,心,意識,生物,社会,国家,自然,世界,宇宙,などの研究*
(加筆、訂正などをやっています)


心・意識は脳の機能でしょうか?1~4


心・意識は、脳の機能のようにみえます。

任意の人の脳がなくなれば(脳が機能を停止すれば。任意の人が昇天すれば)、その人はまったく反応も自発活動もしなくなるから、そう思えるわけである。

その見方は、心・意識は、脳の機能である、という立場にたつことである。

心・意識は脳の機能である。

注)「その見方は、心・意識は、脳の機能である、という立場にたつことである。

心・意識は脳の機能である。」

「」内の部分を訂正します→その見方は、心・意識は、脳の機能である、という立場にたつことである。
注)終わり。

(植野様によれば、
>ここが
重要なことなのですが、脳細胞とそれが結びつく末梢の細胞が情報を交換するときに始めて意識が生じるのです。

だそうです。
非常に重要な見解をありがとうございました。
私が表現する、「脳に意識がある」という命題には、脳のなんらかの活動によって意識が生じる、という内容も含めています)


たしかに、人間において、肉体はさまざまな機能をもっている。

呼吸、循環、消化、などである。

それら機能たちは、図解すれば理解できる。

ところが、心・意識、だけは、図で解説することができない。

どう図示しても根本的に納得のいく説明ができない。

その点が、ほかの機能たちとはまったく異なっている。



心と意識とは異なるので、ここでは、まず、意識をとりあげましょう。


意識は物質そのものではない。

物質(の組織)そのものでないなら、いったい何なのだろうか。

可能性として、エネルギーに伴われる(伴う)波動パターン(変化していく波動パターン)が意識内容であり、それが発生する器(それを発生させる器)が意識の器と名付けられるべき存在である、という答えしかないのではないか。


注)ノーベル賞物理学者・南部陽一郎さんの「ひも理論(弦理論)」、そこから発展させられてきた「超ひも理論(超弦理論)」も、超微細なひもの振動モード・パターンで、素粒子や物質の性質や構造の説明、すべての力の統一理論、などを追求している。
波動パターンというのも、それらの超微細なひもの振動モード・パターンと同じ概念であって、拒否する要素はないといえます。


注)ここにおいて、意識の器と意識内容が区別されている。
意識の主体も区別される。意識の主体とは「意識の器、または、自分という意識、あるいは、意識の器と自分という意識の複合」という感じである。
単に「意識」というのは、意識し感じ味わう性質(機能、働き)である。
クオリアというのは、意識内容に伴われる質、あるいは意識内容そのもの、である(と私は解釈しています)。
それらの区別は重要である(詳しくは、春楽天のブログにあります。ただし、構成・編集・推敲してないので、読みにくいですが)。


意識(の主体)は一体性・全体性を形作っている。

よって、意識の器というのは、波動性において一体性・全体性を形作っているところの、物質的な組織か、極度に軽い物質的な組織か、素粒子的なものたち・量子的なものたちの組織か、エネルギー的なものの組織か、ひとまとまりになったエネルギーか、単独のエネルギーか、その他か、それらのどれかだろう。


脳は、物質の組織としては、一体性・全体性を形作っている(ようにみえる)。

しかし、脳は、脳全体としても、脳の一部としても、波動性においては一体性・全体性を形作ることはできない。

脳の中で波動性の高い、電子、中間子、素粒子、などを考慮しても、そういう結論に至る。

ということは、意識(の器)が、脳という物質の組織の全体か一部に存在する、あるいはその活動によって生じる、ということは否定される、ということになるのではないでしょうか。
ただし、対応しているのは事実でしょう(対応している実態はあるでしょう)。



さてここで次の注目点に移ってみましょう。

物質について考えてみます。


物質は、物質性(個体・粒子性)と波動性(波の性質)をもつ。

昔は、物質は小さな小さな粒子のようなものから成っている、と思われていた。

ところが、量子力学の誕生の前後に、光も電子も粒子性と波動性をもっていることが明らかにされ、物質も波動性をもっていることがわかってきた。

質量が小さいほど、その波動性が顕著に現れてくる。

そこから考えると、ひとつの可能性として、意識の器は、質量が極めて小さい量子(のような存在)から成っているのではないか、と推測・予想される(ほかの可能性は前述しました)。

構成要素の波動性が十分に高くて、その全部が十分な範囲に広がれ、全部が重なって、一体性・全体性を形成できる、しかも、それら構成要素をまとめておく力もある、そういった成り立ちの意識の器という存在、それが仮説として、まず導きだされてくる(繰り返しますが、ほかの仮説・モデルたちもあります)。


次に、物質における、物質性(個体・粒子性)と波動性(波の性質)から、次のような観点も提供されます。

そこから推測・予想すると、次に挙げる対になった概念たちも、両者とも実在に対応しているのではないだろうか、という立場は成り立つでしょう。


(物質性と波動性)

物質文明と精神文明

唯物論と唯心論

唯脳論と唯心論

注)唯脳論については、心は脳の構造からでてくる機能である、人間のあらゆる営みとその結果は脳からでてきている、ということが主張されている、ということしか私は知らない。唯脳論という本を私は読んでいないので。
その主張は、なるほど! と思わせる説得力がある。
そこにおいて、その脳と、その脳のソフトウェアはどこからきたのか・何者がつくったのか、という課題を設定すると、春楽天ブログ「数学の存在からこの世界を読み解く」での論理展開と同じやり方で、それと同じ結論がでてくるだろう。



つまり、唯物論も唯心論もどちらも正しい、ということではないだろうか、ということになる。


今までの論法からいくと、ここでは、意識(心については別記します)は、物質のもつ波動性から現れる、ということになる(要検証です)。

しかし、意識については、物質の組織としての脳のもつ波動性からは発現しない、という結論がひとまずでている。

そこで、既に述べたような結論に至るのです。




心と意識の違い


意識については、定義をはじめ、その性質(機能・働き)をさまざま述べてきたけれど(春楽天ブログで)、心についてはまだほとんど述べていません。

「心」というのは、脳をコンピュータに例えた上で、その中に例えられる部分があるとすると、「中央演算処理装置(CPU)+ランダムアクセスメモリ(RAM)(RAMにプログラムやデータを呼び出して一時的に仕事台・仕事場とする)+あと何か」といったところでしょう。

それに対して、「意識の器」というのは、モニタにあたる。

「意識」は、モニタの表示面のもつ性質、と例えるしかないでしょう。

そのように、心と意識とはまったく異なった存在なのです(定義による。要検証)。

少なくとも、質の科学(春楽天ブログに載せてあります)においては、それらの定義は別ものです(要検証)。




同じように、意識の器、意識、意識内容、心、知性(思考力も含める)なども、区別されます(定義による。要検証)。
それらについては、別の稿で述べます。





(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)





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